先週、ミュージシャン仲間と珍しく銀座!で呑み会がありました。
一件目はメンチカツの美味い洋食屋さん、二件目はスパニッシュ。なかなか、とても新鮮な感じでした(^^)
「そういえば、銀座も区画がキレイだなぁ」等と思いながら呑んでましたが、、、でも、銀座は元々、戦前も結構区画が良かったみたいですけどね。。。道がさらに広がって,キレイになった感じでしょうかね…?
「お盆」の昨日(8/15)は、久々にお墓参りに行けました。
祖父母が眠るお墓と、親友のお墓に。。。
日中は溶けそうなくらい暑かったですけど、溶けてなんかいられないくらい「発破」をかけてもらい、さらにやる気に満ち溢れて来た感じです。。。
お盆、お彼岸,命日の度に行けないのが残念ですが、、、いつ行っても、安堵するというか、落ち着くというか、スッキリするというか、、、皆さんも,同じ感覚を持たれているのではないかと思います。。。
結局の所「お墓参り」というのは、供養のようでもあり、その実、遺された者達の為であったりする部分もありますので。
「終戦記念日」でもある昨日(8/15)は、その足で、とある場所へ向かってみました。
実家から程近いその場所。
太平洋戦争中、最悪の列車機銃掃射事件が起こった「湯の花(猪鼻)トンネル」です。
普段、こういった固有名詞は表記しないようにしていますが、今回は敢えて、きちんと表記してみました。
通常、どんなに酷い事件でもここまでは書かないと思います。ですが、この「旧・浅川」という駅は、実家の最寄り駅であり、ここから電車に乗って、高校、大学へと通っていたこともあり、 僕にとってとても縁が深いというか、あまり他人事ではないというか、、、どうも黙っていられなかったし、身体が動かされたんだと思います。
ちょっとでも気になった方がいらっしゃったら、是非、調べてみて下さい。
酷いです。
ちなみに、広島に原爆が落とされる前の日に起こった事件です。
実は、お恥ずかしながら、僕は大人になるまでこの事実を知りませんでした。
事件自体も大変凄惨で、且つ、非・人道的で許し難いですが、それと同じくらい、その事実をきちんと教育されて来なかった事に対しても、かなりの憤りを感じます。
親父にこの事件の事を聞いてみたところ、普通に知っていましたし、 「ああ〜、後で現場を見に行ったよ。」 と返答されました。 野次馬のように感じるかも知れませんが、 あの終戦直前の戦時下にあって、それでも尚、軍隊を志願しようとしていた、 とても正義感の強い男です。念の為。。。
最近は情報公開も進み、インターネットの発達も手伝って、今まではなかなか知り得なかった情報が能動的に、しかも、以前よりも手軽に手に入れる事が可能になって来ました。
垂れ流しの受動的な情報だけに頼らず、自らが欲しい情報を手に入れる事が出来るようになったのはとても素晴らしい事だと思います。
そこで得た情報を、このまま「風化」させないように、
そして、自分を含めて今に生きる人々が「幸せ」に暮らす事が、全ての、何よりの、弔いだと思って、なお一層、ひたすら前向きに行きていこうと思います。。。
実は、前出の「旧・浅川駅」の裏側には、、、全長10km!にも及ぶ、地下豪が作られていました。終戦直前に、その中で戦闘機や武器をを作ろうとしていた訳です。 (これも大人になってから知りました)これが、恐らく「彼等」の「言い分」でしょう。
話は戻って、「銀座」、、、
日比谷、銀座界隈には大戦末期に苦肉の策として編み出されたかの「風船爆弾」の工場があったらしいです。これも「彼等」の「言い分」でしょう。。。