年の瀬ですねぇ〜。
皆さん今年は思い残したことありませんか?
私はアリアリですけれどねぇ〜。
全っ然、断捨離が進みません、、、
断捨離下手なんですよねぇ〜。
なんでもとっておいちゃう。
家中、物だらけ。。。川´・_・`川.。oஇ
皆さんは大丈夫ですかね?
大掃除終わりましたか?
年賀状はもう出しましたか?
大晦日に出してなければ確実に元旦には着かないですよね。。。
私は辛うじて先日出しましたよ。でも元旦には着かないかもです。 Ҩ川´-ω-`川
年賀状といえば、発行枚数が劇的に減ってしまっているようですね。前年比でも20%近く減っているんだとか。最も多かった頃から比べると半分以下だそうです。これだけインターネットが発達して、殆どの人がSNSを利用して情報をやり取りしている世の中では致し方ない事なのだとは思いますが、懐古主義とかいう事とは別に私は割と好きな文化です。サイバー空間(死語かな?)だけのやり取りではなくで、住所から住所にキチンと届くという地に足が付いた実感のある感覚が良いのかも知れません。
現代はラインやメールで「住所変わったよ」って伝えれば済む話ですし、今の人にとってはアカウントやIDさえ知っていれば、もはや住所自体が必要では無いのかも知れませんが、やはり実際に会ったりする場合には物理的な場所や居処が大事だったりもしますよね。
そうは言っても私自身も親戚を除けば年賀状でやり取りしている友人は十人程度ですけれどね。ꉂꉂ川ᵔᗜᵔ*川あははは
まぁ半分以上はバンド関係で知り合った方なんですけど、高校の友人1人、大学の友人2人とはもう何十年か年賀状のやり取りをしています。その大学の友人二人「W」と「S」がまぁまず会わない(爆) 「W」は以前一度、家に呼んだ事があるのですが、まあそれでも20年会ってないですし、「S」に至っては卒業以来30年間一度もあった事がありません。それでもやり取りが出来ているのは、それこそ年賀状ならではなのではないかとも思います。
どうして私がこの二人と仲が良かったのかと言うと、それは私が大学に8年間も在籍していた事に起因します。
実は「W」は5年まで「S」は6年まで大学に通っていたので、言うなれば落第3人組といったところなんです。
まず「W」がなかなかの変わり者。彼が非常に面白い。「fun」という面白さではなくて、「interesting」の方。本当に興味深い。私が今まで会ってきた友人の中でもトップクラスの珍しい生態をお持ちです。
彼はギターをやっていた事もあって、入学早々、1番に私に話しかけてきたのが思い出深いです。
当時はお互いに長髪で一眼で「それ」と分かる出で立ちをしていたので、まあ必然といえば必然なんですけれども、「W」は割と天然系なところがあって、他人に変な気をつかったり、緊張したりという事があまり無い男で、臆面もなく本当に普通に自然に声をかけてきました。偏見かも知れませんが、葛飾という下町で生まれ育った環境に因るものも大きいのかな、とも思います。彼が声をかけてくれたおかげで、私は附属高校上がりの連中のグループにすんなりと入ったように思います。
入学した1年の4月くらいまでは私も大学に通っていたのですが、その1年の必修科目の中に流体力学というのがありました。流体力学というのは文字通り流体を扱う力学でパイプの中を流れる流体の流れ方などを計算で求めるといったような学問で、材料力学などの力のイメージを手に取りやすい力学を得意とする私は、この掴みどころの無い流体を扱う力学がどちらかと言うと苦手でして講義も半分ほどしか頭に入って来ませんでした。ですが、教授が講義の度に毎回口を酸っぱくして「ミュー分のディーユーロー」、「ミュー分のディーユーロー」と何百回となくいうものですからその公式だけは今でも覚えています。ただ、それをどう使うのかは今となっては良く分かりません。。。(苦笑)
忘れもしない、その流体力学の講義の時の出来事でした。私の在籍した学科は200人居るのですが、それ以上の人数、数百人が入るほどの大きさの静まり返った大講堂に、突然その音は響き渡りました。
「ぬっふふふん!!!」
何事かとびっくりしてそちらの方を見るとそこには「W」の姿。それは「W」の大きな大きな「咳払い」だったのです。そう、それまでも確かに学食などでは聞いてはいましたが、ざわついた場所では全く気にはならないものも、シーンと静まり返った講堂に響き渡るともなるとそれはそれはとても闇を劈く程の破壊力を持ちます。「おい、W、うるせぇ〜よ」と言うと「なんだよ、うるさくねぇ〜よ、普通だよ」とあっけらかんとしていて、本人は全く自覚がない様子。付属高校上がりの連中には周知の事実のようでして、もう当たり前のように「ああ、またアレか」といった具合。ですが、初めて聞いたときにはかなり衝撃を受けました。後でその話をしても「菊地は大袈裟なんだよ」とまるでこちらが悪いかのような言い草。本人は普通に咳払いをしているだけのようです。その後も幾度となく「W」の「ぬっふふふん!!!」は大講堂に響き渡るのでした。。。川´•ᴗ•ก川💦
その後、1年の大型連休辺りから大学から足が遠のいてしまい、3年までの間はバンド活動があったので全く大学には行かずにいたのですが、前のバンド Killermayが解散したのを機に、4年から大学に通い始めました。もともと付属上がりの連中と交流があったので復学はそれほど苦では無かったのですが、如何せん3年遅れなので受ける講義が全く違い、私は3つ下の学年と一緒に講義に出る毎日になりました。
そんな中、一緒に入学したいわゆる「同級生」達は正規の4年で卒業し、バブルの甘い汁をたっぷりと吸いながら就職活動し、そして漏れなく一流企業に就職して行きました。中には機械科卒でありながら銀行に就職するなんという輩も居たりして、むしろ彼は今どうしているのだろうか?と勝手に心配したくもなりますが、そんな心配はさておき、遺された「W」と「S」と私の3人は元々仲の良いグループだった事もあり、自然とそういう関係になっていったのだと記憶してます。ただ、面白い事に3人で連んだりしてたわけでは無いんですよね。
「W」とはお互いにバンドマンということもあって非常に交流もあり、お互いの家に何度も泊まり行ったりした程の仲で、私もよく彼の家に泊まりに行っては彼のお父さんとお母さんにお世話になったものでした。で、夕飯にはいつもお母さんが大層な御馳走を振る舞ってくださるのですけれど、「W」の食いっぷりが凄い!順番こそ定かではありませんが、まず味噌汁を全部飲んで、次にサラダを全部かっ喰らって、メインディッシュのハンバーグを平らげたかと思うと、最後にご飯を掻き込むという、見たこともない強烈な偏食一点喰い!そして「腹いっぺぇだ!」が物凄く似合う(笑)
「W」曰く「こういう風にしか食べれないんだよ」川 ゚∀゚川・∵ブハッ!!
「いやいや、出来なかねぇ〜だろう」という私のツッコミは何処へやら。。。
こんな食べ方は後にも先にもこの「W」しか見たことがありません。
そうかと思えば、ウチに泊まりにきて鉄火丼が出された時のことです。「あぁ…、僕これ食べれないんですよね…。」と申し訳なさそうに言うので聞くと、どうやら生魚が苦手のよう。下町育ちのクセに江戸前が食べられないのには少々驚きましたが、続いて出された2品目も「あぁ〜、ごめんなさい。これもダメなんですよ…」と言う言葉にお袋と二人で笑うしか無かったのを覚えています。この2品目がなんだったかがよく思い出せないのが残念なんですが、最終的にはたまたま買い置きしてあった和光のとんかつを食べたんだと思います。後から聞いたら、あまり好き嫌いは無い方らしくたまたまだったらしいけれども、ほとんど食べられない物がない私にとっては立派な偏食ぶりです。川`・ω・´川キリッ
まあ、こういうのも臆せずに我慢せずにちゃんと言うところが「W」の良さだったりします。
お互いに泊まりに行った際に、「W」とはよくいろんなディスカッションをしました。なんか飲んで話したと言う記憶があまり無いので、もしかすると「W」があまり飲まないヤツだったのかも知れませんが、布団を敷いた後に夜遅くまでどうでも良い事を二人で延々と話したものでした。
ある夜、恐らくは音楽の話からミニコンポの話になりました。今は一般的にはもうあまり見かけませんが、当時はラジカセかコンポで音楽を聴くのが普通で、ちょうどいろんなミニコンポが出だして主流になり始めた頃でした。コンポというのはコンポーネントステレオのことでレコードプレーヤー、ラジオチューナー、アンプ、カセットデッキからなっていて、良いものにはグラフィックイコライザーが付いていたりもしました。同じメーカーで綺麗に揃えるも良し、上級者は他メーカーの気に入った機器を組み合わせてシステムアップしたりと、そういった楽しみ方が出来るのが醍醐味でした。そこへ、全てを一体化しコンパクトにした「ミニコンポ」という商品が出だしたのです。通常のコンポのセットは10万円代後半から20万円以上もする高級品でしたので、当時お金の無かった私は確か6〜8万円くらいのミニコンポを買って音楽を聴いていました。
その話になった時におもむろに「W」が「それはコンポとは言わねぇよ。ミニコンポじゃねぇよ」と言いだしました。私は「ミニコンポ」と呼ばれているものを買ったので、「いやいや、ミニコンポだって!」と言い返しましたが、「コンポーネントになって無いのはコンポって言わねぇよ」と全く引きません。確かに語源の意味からするならば彼の言っている事は筋は通っています。ですが、合点のいかない私は「いや、お前の言ってることは理解できるけれど、一般的にはこういう小さく一体型になったものを世の中ではミニコンポって言ってるんだよ」とこちらの正論をぶつけます。けれども、全く暖簾に腕押し、「ううん、いや、コンポじゃ無い。」の一点張り。以降、ずーーーーっと、延々とこのやり取り(笑) 全く結論を見ないまま、ベットに布団を横付けに敷いた状態でどのくらいの時間が過ぎたでしょうか。恐らく小一時間は全く平行線のまま論議は続いたんだと思います。で、そのまま夜だけが更けていき、だいぶ遅くなったところで、「じゃ、そろそろ寝るか」となり、何事もなかったかのように明かりを消して眠りに付きました。
後日談として、一般的には「ミニコンポ」と呼ばれているのを知った「W」が「俺が間違ってた」と非を認めましたが、そんな事はもはやどうでも良く、むしろ私は世の中がアレをコンポと呼んでいる事の方が間違っているんじゃ無いかと思い始めてました。
そんな事が何度もありました。布団を敷いてどうでも良いことをただ論議したり話したりしたものでした。ただ喋ってるのが楽しいだけだったのかも知れません。
またある時はバンドの話になりました。その頃はKillermayが解散してTHE YELLOW MONKEYを始める頃とちょうど時期が被っていたため、高校の友人のバンドにヘルプで入ったり、「W」のバンドのドラムをヘルプで叩いたりしてました。当時、彼自身はコンポでは無く、ラジカセで音楽を聴いていたのですが、そのラジカセで今のラインナップになったばかりのTHE YELLOW MONKEYのスタジオの音源を「W」に聞かせていた時にそれは始まりました。
当時、THE YELLOW MONKEYはラインナップが変わってロビンが歌う事になりました。私がバンドに参加した当初はそんな予定は全く無かったのですが、急遽歌う事になったロビンの声が思いの外、非常に魅力的でした。いきなり歌う事になったこともあり技術に関しては正直これからという部分はありましたが、その歌声が私は大好きで、これなら多くの人を惹きつける事が出来るかも知れない、と思っていました。私はそれを自慢するかのような気持ちでスタジオで録ったテープをラジカセに入れて「W」に聞かせたのです。ところが、「W」は「何言ってんだよ!歌が上手いというのはうちのバンドのボーカルみたいなことを言うんだよ!」と来ました。私も彼のバンドを手伝ったりしていたのでそのボーカルの力量は知っていました。確かにハイトーンもかなり出るしピッチも安定しているのですが、それが魅力的なのかどうかというと、それは人それぞれなのだと思います。彼のバンドは歌詞を書く人が居なかったので全編が歌詞の無いいわゆる「ハナモゲ」というもので構成されていて、そこの部分で説得力が少ないというのもありましたが、それを差っ引いたとしても私は断然に自分のバンドのボーカルの方が素晴らしいと思っていたので、「最終的に歌が上手いかどうかは人を惹きつけるかどうかだろ?」と強めに反論しました。「W」は「いや、違う。上手いというのは技術的に上手い事を言うんだよ」の一点張り。「人を惹きつけること」を上手いとする私と、とにかく「技術があること」を上手いとする「W」の攻防はここからまた小一時間続く事になりました。そして、最終的にはまた夜だけが更けていき、「そろそろ寝るか」で灯りを消して何事もなかったかのように眠りにつくのですけれど。。。
ミュージシャンって技術はもちろん大切ですけれど、最終的に何が描けるか?というのが一番大事だったりしますよね。絵画でもなんでもアートは全部そうですよね。私はそういう事が言いたかったんだと思いますが、「W」の言う「上手い」もまぁ正直なところ納得は出来ます。
まぁ、この結果は後々に皆様が証明してくれる事になるのですけれどね。
こういうのって完全に視点だけの問題で何が正しいとかでは無いと思うのですが、これを「W」とはしょっちゅうやっていた様に思います。考えが違う様でいて、本当は実は思考は凄く近かったのかも知れません。
そんな「W」も就職を目前にしてバッサリと髪を切り、キッパリとギターとバンドを辞め、卒業してからはかの有名な大手便器メーカーに勤めていますが、「流体力学」を扱う会社に入った事は因果なのかなぁと思ったりもします。
「W」が卒業して行った後に残されたのは私と「S」です。「S」は背はあまり高くないけれども物凄く筋骨隆々な大変なスポーツマン。ヨットをずっとやっていたので肌が黒くていかにもスポーツマンらしい男らしい男。ルックスもなかなかの男前で彼も少々天然ではあるけれども、スポーツマンの例に漏れず正直で素直で気の良い男です。すごくピュアなんですよね。ただ、スポーツ推薦で入ってきてしまったもんだから入学してからが大変だったみたいで結局卒業までに6年かかってしまったようです。
3年遅れで大学に通い始めた私は遅れを取り戻すために2年間で3年分の単位を取ろうとしていたので、この頃には履修する科目の関係で多くは2つ下の学生と仲良くしていたのですが、「S」もたまに一緒になって飲みに行ったりウチに泊まりに来たりしていたものでした。要は同級生達が卒業していってしまったので、私と下級生と遊んでいたわけですね。実は親父も学生時代にはヨットをやっていたので、「S」がウチに遊びに来た際もなんだか酒飲んで酔っ払って親父と意気投合してたのが微笑ましいです。その後、私と「S」でとことんまで飲んで何故だか二人で号泣した事も良い思い出です。川´•ᴗ•ก川💦
一度、ウチに泊まりに来るときに先輩から譲り受けたという直管バリバリのバイクでやってきて、まぁ、これが迷惑千万(笑) 今の時代でしたら完全にアウトなんですけれども、当時はお上もそれほど煩くはなかったとはいえ、バッテリーは載ってない上にマフラーは無し!物凄い爆音でやってきました。流石に私も「聞いてないよ〜」状態で参りました。。。マフラーの無いエンジンがどういう音がするか皆様ご存知でしょうか?それはそれはまるで雷が落ちたんじゃ無いかっていうくらいのエッジの効いた爆音でしかも一瞬では終わらない継続音。ただ、それは全く本人の趣向では無く、先輩という方が改造してしまった個体を、学生身分でお金の無い「S」が格安かもしくは只同然で譲り受けたと言うことのようで「S」本人も些か困ってはいたようではあるのですが、移動手段として背に腹は変えられないといったところだったのでしょう。
夕方に来たときにはまあ仕方がないと思えますが、泊まった翌日に用事があるからという理由で朝の6時に帰ると言い出したので、それは流石に近所迷惑だからやめてくれ、と懇願しました。「バッテリーが無いからキックスタートでエンジンかけなきゃ行けないんだけど煩いよね?どうしよう、、、」というので、考えあぐねいた末に家の前から続く長い坂を使って押しがけしてくれ、という事にようやく落ち着きまして、安心して飲める事になりました。しかし次の早朝、「S」が玄関を出た数分後に数百m離れているとは言え雷のような爆音が辺り周辺に轟き渡ったことは言うまでもありません。川>_<川💦
そんな「S」も無事(?)に6年で卒業していき、私は一人静かにバンド活動を続けながら残りのキャンパスライフを淡々を過ごすのでした。。。と言っても、敢えて単位を残していたので、週一回の出席とレポート提出だけだったんですけれどね。川•ω- 川☆
今年は「S」から喪中葉書が届き、今年は年賀状無しかぁなどと思っていたら、その葉書に「近所に引っ越してきました。また数年したら転勤になるかも」と自筆で書いてありました。「S」は仕事柄、転勤が多く地方を転々としていたので、なかなか会えないと思っていましたが、これは良い機会かもと思い、すぐにショートメールで連絡を取りました。やはりこうなると葉書よりはデジタルの力が大きいですよね(笑)
「W」にも同時に連絡を取って、実は年明け早々に会う事になっております。
この二人に関しては何故だかルックスもそれほどは変わっていないような気がするんですよね。偏見ですかね? どんなオヤジになっているのか楽しみです。川*ฅ́˘ฅ̀*川♡
こういう時、いつも思うんですけれど、相手はこっちのことは常にわかってるんですよねぇ〜。なんかズルくないですかぁ?川•́ε•̀川
またまた前置きが長くなってしまい申し訳ありません。
よくこのブログに登場するトレーナーの方とも色々話すのですけれど、曰く「最近、目新しい物理の情報ってないですよねぇ…」。そうなんですよねぇ〜。最近、これといって面白い情報ないんですよねぇ〜。 「宇宙の歴史より年齢の古い星が見つかった」とか、「記憶は遺伝する」とか、「象牙を取られている群れの象の牙が生えてこなくなる」とかのちょっと興味を引くものはあるにはあるんですけれど、エビデンスの確認がまだイマイチで。。。
例のYOUさんの音源がライブ用のものはだいぶ纏まってきまして、ある程度は定期的にセッション出来るようにはなってきました。そろそろキチンとしたライブと音源に取り掛かっていけたらなぁ、と思っております。
皆様、今年も1年間お世話になりました。佳い年をお迎えください。。。