人は、誰しも強い悲しい思いをしなければならない事が数回は義務づけられています。
それは親兄弟を含め、肉親が居る限り、避ける事が出来ないでしょう。
もし肉親が居なかったとしてもそれは幾多の苦労があるだろうし、「絶対に悲しくなんかならない」と思う人がもし仮に居たとしても、それはその事自体が相当に悲しい事だと思う。
恐らく全ての人にそれは均等に、そして漏れなく与えられるのではないでしょうか?
その強い悲しみは消える事はないし、決して忘れる事など出来ません。
思い出さないようにする事は出来ますけど…
「時間が癒してくれる」と良く言うけれど、それはちょっとだけ違うような気がする。何もしなければ、幾ら時間が経とうがそこに留まってしまうし、ひとつ間違えば増幅してしまう事だってあるかも知れない。
「悲しい事」は消せないし、そのままでは居られないから、やっぱり人は歩いて行かなきゃならない。
そしてそこで出来るだけ多くの「素敵な事」や「楽しい事」を作り出して、掴み取って、感じ、
「悲しい事」の上にどんどん「素敵な事」や「楽しい事」を上から塗っていくしかないんだと思う。
幸い、生きるという事もまた、それだけで大変です。 「悲しい事」の上に「大変な事」を上塗りしていく事を「時間が癒してくれる」というのかも知れません。
小さな「悲しい事」や「嫌な事」だって、全部そう。忘れたようでいて、ふとした瞬間に思い出す事もあります。それは下地が見えてしまう瞬間なのでしょう。
人生は鉛筆画のように消しゴムで簡単に消せるものではないし、水墨画のように淡いものでもなくて、「油絵」のように分厚く分厚くなっていくものなのかも知れませんね。
そんな事を感じながらの旅も終わり、今はもう東京に戻っております。
しかし、なんですか? この寒さは・・・。
せっかく風邪が治ったのに、また喉が痛い・・・。
うがい薬でも上塗りするしかないか・・・。
※心配される方がいらっしゃるといけないので敢えて書きますが、「悲しい事」は僕自身の出来事ではありません。